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仏教議論スレッド99

18 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/12(月) 07:46:52.75 ID:wdzWWJ9L
前スレッドよりの続編になります。

>このようにして、自分と対極である世界というのを冷静に見つめる目をもつに至る。
>つまり、解脱というのはこのような論理体系を有している。

では世界というのはどういうものなのか?これについて書いてみます。
大古の昔においては、人は昼と夜の繰り返しであった為に、昼と夜が循環していると考えていた。
つまり時間というものは循環するものだと考えていたんだね。

それから物々交換など経済が発達することにおいて、やがって流通が発達し商人や職人という職業が出てくる。
商人や職人は、昼と夜の循環はあまり関係がなくなってくる。
つまり物と人が流動的になり、昼夜の循環より商機の方が重要になってくる。
このような経緯を経て、そして人における時間概念が少しづつ変化をしていく。
つまり時間概念が、循環より直線的になってくる。

で、一応私は簡単に世界観について説明したけど、時間においての正誤を書いている訳ではない。
印哲というのは、自己と世界は同一と考える(分別はない)から、世界観が即ち自己である訳だ。

西洋哲は、自己と世界は対立している(キリスト教の影響がある)
で私は「言語の矛盾性は印哲・西洋哲、双方にある」と前記したのだが、
この「矛盾」をごっちゃにしては殆ど意味不明になる。

とりあえずは、今のところは印哲と西洋哲の違いと、
世界観(時間概念)だけ把握してくれたら嬉しい。
非常にややこしい論法になるけど、なるべく平易に書き込みしていこうかと思う。

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